ダラダラとした呟き
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震災から2年が経ち、私自身も色々とありました。
震災があってから、同級生をつなぐきっかけを作ろうと友人たちと色々奮闘した去年でした。
(そのおかげで乾海からすっかり離れてしまいましたが)
その中で様々な同級生の事情を知り、胸が痛くなることがシバシバ。
一番凄いと思ったのは、自衛隊と警察の同級生です。
夏の同窓会で話した時、そのことを色々教えてもらえて、私は言葉を失いました。
友人1は警察なんですが、住んでいたのは、もっとも犠牲者がでた町でした。
震災直後は、すぐに交通整備や、救援に回らなければいけなかったらしく、
奥さんと生まれたばかりの子供は二の次で、必死で救援に当たり、
ただひたすら家族の無事を祈っていた震災2日後、友人がTVで見たのは
自分の住んでいるアパートと奥さんの実家が流される映像だったそうです。
絶望したのは言うまでもないでしょう。
体の力がすべて亡くなった気がしたといっていました。
それでも職務放棄は出来ないんです。警察だから。
自分の感情を殺して、救援に当たり、
そして震災から5日後に家族と再会できたそうです。
この話を友人はとても、淡々と昔話のように語っている姿がとても印象的で
強烈でした。
そんな話を淡々と語れるほど、その後の惨状が凄かったのだと思いました。
でも友人は少しも言葉を切らさずに私にすべてを教えてくれました。
その友人の姿に私は湧き上がる悲しみと感情を奥歯をかみしめて
涙を堪えました。
だって泣いたら、友人に申し訳なくて。
私は震災当日は、部屋の中はめちゃめちゃだったけど、布団で眠れたし
電気もあった。ごはんも食べれた。
そんな人間があの惨劇を乗り越えた友人の前で泣くわけにはいきません。
全て乗り越えて、まっすぐ前を向いて戦ってる友人がカッコ良過ぎました。
惚れてまうやろ!でも既婚者ww
友人は沢山沢山、夥しいほどの遺体を見たと言っていました。
最初は辛く、なれるものではないけど、人間の本能なのか
途中からはなんでもなく、感情がどこかに行ってしまったかのように
淡々と仕事ができたようなんですが、子供の遺体を見る時だけは最後まで
慣れなかったと言っていました。
本当ならこんな話はあまり話したくないだろうと思いましたが
友人はすべて教えてくれました。
そういうことは、色々伝えていけないと思っています。
ですので書きました。
震災の5か月後に私も自分の実家に帰省して
港に行ったんですが、
港はぐちゃぐちゃで言葉になりませんでした。
船着き乗り場に沈んだ残骸の上に立って
海を見つめたあの時の気持ちは
絶対忘れません。
まだ見つからないご遺体が早く見つかるように
祈る毎日です。
春を迎えず亡くなった方への冥福を祈ります。
震災があってから、同級生をつなぐきっかけを作ろうと友人たちと色々奮闘した去年でした。
(そのおかげで乾海からすっかり離れてしまいましたが)
その中で様々な同級生の事情を知り、胸が痛くなることがシバシバ。
一番凄いと思ったのは、自衛隊と警察の同級生です。
夏の同窓会で話した時、そのことを色々教えてもらえて、私は言葉を失いました。
友人1は警察なんですが、住んでいたのは、もっとも犠牲者がでた町でした。
震災直後は、すぐに交通整備や、救援に回らなければいけなかったらしく、
奥さんと生まれたばかりの子供は二の次で、必死で救援に当たり、
ただひたすら家族の無事を祈っていた震災2日後、友人がTVで見たのは
自分の住んでいるアパートと奥さんの実家が流される映像だったそうです。
絶望したのは言うまでもないでしょう。
体の力がすべて亡くなった気がしたといっていました。
それでも職務放棄は出来ないんです。警察だから。
自分の感情を殺して、救援に当たり、
そして震災から5日後に家族と再会できたそうです。
この話を友人はとても、淡々と昔話のように語っている姿がとても印象的で
強烈でした。
そんな話を淡々と語れるほど、その後の惨状が凄かったのだと思いました。
でも友人は少しも言葉を切らさずに私にすべてを教えてくれました。
その友人の姿に私は湧き上がる悲しみと感情を奥歯をかみしめて
涙を堪えました。
だって泣いたら、友人に申し訳なくて。
私は震災当日は、部屋の中はめちゃめちゃだったけど、布団で眠れたし
電気もあった。ごはんも食べれた。
そんな人間があの惨劇を乗り越えた友人の前で泣くわけにはいきません。
全て乗り越えて、まっすぐ前を向いて戦ってる友人がカッコ良過ぎました。
惚れてまうやろ!でも既婚者ww
友人は沢山沢山、夥しいほどの遺体を見たと言っていました。
最初は辛く、なれるものではないけど、人間の本能なのか
途中からはなんでもなく、感情がどこかに行ってしまったかのように
淡々と仕事ができたようなんですが、子供の遺体を見る時だけは最後まで
慣れなかったと言っていました。
本当ならこんな話はあまり話したくないだろうと思いましたが
友人はすべて教えてくれました。
そういうことは、色々伝えていけないと思っています。
ですので書きました。
震災の5か月後に私も自分の実家に帰省して
港に行ったんですが、
港はぐちゃぐちゃで言葉になりませんでした。
船着き乗り場に沈んだ残骸の上に立って
海を見つめたあの時の気持ちは
絶対忘れません。
まだ見つからないご遺体が早く見つかるように
祈る毎日です。
春を迎えず亡くなった方への冥福を祈ります。
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