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いや~すげぇ話だ~と思いました。
そして凄く凄く貴重な話聞いた。今日話を聞いた人、NHKとかに取材される人だろうなーと
思いました。ルソン島戦線後に、ネグロス島戦線に派遣され、その後捕虜でレイテ島の
収容所にいた方なんですが、レイテ収容所を最後に出られた方で、
貴重すぎる話を生で聞けて本当に感激&胸が痛くなりました。
シベリア抑留も相も変わらず酷い話で・・・ただ、今日話を聞いて思ったのが、
収容所に入ってしまうと南方の方が断然ましなんだなと。
いや、それも場所によるんでしょうが・・・ 少なくともアメリカは捕虜に強制労働は
させないからな。旧ソ連軍の強制労働は・・・ 寒いしね・・・
マイナス50度って、おま・・・!
なんか今日の話を原型師に言おうと電話をしたんですが
もれなく仕事中で電話を切られ、しょんぼりしたので実家の父に
「今日、ネグロス戦線の生き残りでレイテ帰りの兵隊さんの話を聞いたよ」
って行ったら、なんか地元が祭りだったらしく、父はべロンべロンに酔っぱらって、
「おーお前からレイテなんて名前が聞けるのか~!」
とわけのわからんテンションで、
その後、一時間、レイテ沖海戦の話をされました。orz
いや・・・ あの・・・ その話も全部知ってるし・・・ 散々お前から聞かされてるし・・・・
(幼少時の寝る前のお話はもっぱら戦艦武蔵の沈没時の話でした)
何か新しい話でも聞けるかと思ったのですが、なんかその後はアメリカ軍と日本軍の
機雷の根本的な違いについての説明を電話でされました。
いや・・・ あの・・・ 一度として機雷に興味もった事なんかないんですけど・・・
人間魚雷の性能性の悪さの説明もされました。
酔っ払いの父親、めんどくせーよ。マジめんどくせーよ。
しかも話はどんどんさかのぼり、ミッドウェー海戦時の零戦の飛行状況に発展し、
満州事変までさかのぼるころには父との電話は2時間を超えていました。
しかも話が一次大戦にまで及びそうだったので、
あわてて「明日も早いから」、と告げて電話を切りました。
酔っ払いの父親、めんどくせーよ。マジめんどくせーよ(2回目
多分、明日には覚えてないんだろうなーきっと。最悪だ。
しかも昔聞いた話ばっかりべらべら話しやがって。どうしょうもないわ(´Д`)=3
そして明日は東京大空襲を経験された方と、満州引き揚げ隊の方のお話を
聞きに行きます。夏の間くらいは貴重な体験談聞かないとねん!