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ダラダラとした呟き
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私と、私の地元の仲間は正直、地震慣れしてます。

小学校5年の時に、釧路沖地震の余波で震度5を体験し、
その時に津波の恐ろしさを初めて知りました。

その翌年、三陸はるか沖地震にて、震度6を経験。
(同年に関西では阪神大震災)

なので、どの揺れによって酷い被害になるかは体が覚えています。

今回の地震も私は外にいましたが、とても冷静でいました。
この揺れなら壊滅的な建物倒壊はない。と。
外に出たほうが危ない。と、いう冷静な判断が出来ました。

地震発生から何も分からず、とにかく自宅を目指して2時間かけて帰宅しましたが、
帰宅して、TVの前で崩れ落ちました。
自分の家の中も酷い状態ですが、私の地元が…
高校への通学路が津波に飲まれて行く映像を見た時、頭の中は真っ白になりました。
建物倒壊や火災はないけど、津波か…また津波か…と。

波にのまれていく、見慣れた工場、漁港には友人が働いていたり、
友人の家族が働く場所が沢山津波に飲まれていました。

言葉になりません・・・・

北海道、青森、岩手、宮城、福島、友人は散らばっていて、連絡が取れたのは半分。
雪も降って氷点下の東北で停電。

家で布団で寝られるだけで十分すぎるほど幸せなので、暖房を入れるのをやめました。
出来るだけ着こんで布団に入りました。
氷点下の東北で暖房もなく、毛布一枚で冷たい床に寝てるであろう友人たちの事を思うと
暖房なんか付けてる場合じゃない。

福島にいる友人や、宮城の連絡の取れない友人達の安否が確認できず、
ずっと自分的に緊迫してますが、必ずみんな無事でいると!いい効かせています。

しかし地元から上京した仲間たちと連絡を取りあいましたが、
みんなやはり私と一緒で地震そのものは、「あのときよりはまし」という感覚でいました。

両親は無事だったが、まだ安否確認が出来ない友人多数なので、何も安心できない。

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