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仕方がないので、友人宅に泊まってます。たぶん今日も泊まるだろうな。。。
水曜は休みなんで、今日明日乗り切ればなんとか家に帰れる。
しかし金曜以降はどうなるんだろう。
原発心配やな。。。下手したらチェルノブイリの二の舞ですもんね~
昨日の夜にようやく友人たちとすべて連絡がつきまして。
なんとか安心しましたが、車は無くなる、
家は倒壊という事実を聞いたりしてやはり言葉にならず。
助かったものの、食料品がないとかそんな事態もあったり
そろそろガソリン無くなるとか不安げな友人や親の言葉に何も出来ない
自分が甚だ歯がゆいですが、私が出来ることは節電することに限ります。
震災の募金もあちこちで始まるだろうけど、うっかりするとこれに付け込んで
詐欺が発生するから気をつけないといけませんね。
とりあえず昴はもうおねむ~。
私と、私の地元の仲間は正直、地震慣れしてます。
小学校5年の時に、釧路沖地震の余波で震度5を体験し、
その時に津波の恐ろしさを初めて知りました。
その翌年、三陸はるか沖地震にて、震度6を経験。
(同年に関西では阪神大震災)
なので、どの揺れによって酷い被害になるかは体が覚えています。
今回の地震も私は外にいましたが、とても冷静でいました。
この揺れなら壊滅的な建物倒壊はない。と。
外に出たほうが危ない。と、いう冷静な判断が出来ました。
地震発生から何も分からず、とにかく自宅を目指して2時間かけて帰宅しましたが、
帰宅して、TVの前で崩れ落ちました。
自分の家の中も酷い状態ですが、私の地元が…
高校への通学路が津波に飲まれて行く映像を見た時、頭の中は真っ白になりました。
建物倒壊や火災はないけど、津波か…また津波か…と。
波にのまれていく、見慣れた工場、漁港には友人が働いていたり、
友人の家族が働く場所が沢山津波に飲まれていました。
言葉になりません・・・・
北海道、青森、岩手、宮城、福島、友人は散らばっていて、連絡が取れたのは半分。
雪も降って氷点下の東北で停電。
家で布団で寝られるだけで十分すぎるほど幸せなので、暖房を入れるのをやめました。
出来るだけ着こんで布団に入りました。
氷点下の東北で暖房もなく、毛布一枚で冷たい床に寝てるであろう友人たちの事を思うと
暖房なんか付けてる場合じゃない。
福島にいる友人や、宮城の連絡の取れない友人達の安否が確認できず、
ずっと自分的に緊迫してますが、必ずみんな無事でいると!いい効かせています。
しかし地元から上京した仲間たちと連絡を取りあいましたが、
みんなやはり私と一緒で地震そのものは、「あのときよりはまし」という感覚でいました。
両親は無事だったが、まだ安否確認が出来ない友人多数なので、何も安心できない。
死をマジで覚悟した。どえらい落下物が直撃するところでした。
しかし自分が助かったと喜べません。
自分の実家が大変な事に… 高校の友人たちの安否が…
東北電力が落ちてるらしいので、電話も通じないし、メールも出来ない。
津波の地域に友達の家もあって、心配で寝られない。
東北の状況に涙が止まりません。
親は無事でしたが、友人の安否が全く分からず…
今日は家にいるだけ私は幸せです。生きてる事に幸せを感じます。
どうか、みんな無事でいてくれと願うのみです。
津波にのまれた八戸、宮城、炎上してる気仙沼、
大切な友人たちがそこにいて連絡が取れず、何もできない自分にさらに腹が立ちますが
私が出来る事は必死でみなの無事を祈る事。