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ここう数日していたこと。
・依頼が来た物、キャラ誕用、年末年始の宅飲み用のデザートのキャラチョコ。
などをどっさり作っておりました。
おかげで部屋はめちゃくちゃですww
・なまはげの原型が壊れてないので、壊れるまで量産してやろうと、なまはげのお面つくりも再開してました。おかげで部屋はめちゃくちゃです(二回目)
でも合間合間に大掃除を開始しつつ、ガスレンジ回り洗い、脱衣所、風呂場、トイレ、庭を掃除をして、本日部屋の中も綺麗になりましたwwww
これで年末年始、昴宅で宅飲みはばっちりんこでございます。
明日は原型師Oさんとビュッフェいって、竹久夢二記念館行き、よみうりランド行った後宅飲みでございます。
一足先のクリスマスww
クリスマス当日は、兵長の誕生日を全力で祝います。
今年はネタに走りますww
去年もある意味ネタかwwwwwwwwwwwww
オカダヤが15日までセールらしい。。
ふと、ハロウィンの時期にオカダヤに入れたクレームについて今更ながら書こうと思います。
いや、でもオカダヤさん側にさほどの落ち度はないです。問題はオカダヤを利用する人たちのマナーの問題。
長くなるので畳みます。
永野平蔵さんっていう南方帰りの歩兵の方で、終戦後は南方戦線の捕虜収容所(レイテ島のね)に最後までいて、最期の鍵をかけたというかなり貴重な兵隊さん。
永野さんのお話は今回で3回聞けましたが、最後に永野さんの話聞いたのが、4年前で現在は93歳なんだけど…4年の歳月はやっぱり…あんなに饒舌だった永野さんが本当にヨボヨボして学芸員の方に手を引かれてあるくのもゆっくり…
お話も基本は前回きいたのと同じなんですけど、でもなんか4年という歳月をものを凄く感じた。。
永野さんがいた部隊は1500人いたのに、生きて帰れたのは61人…その後戦友会を年に何度かやっていた模様ですけど、もう生き残りは永野さんただ一人…
永野さんも92歳で…
残りの人生かけてあの戦争を伝えていきますと力強く言っていた永野さんに胸を打たれましたね。。
出来るだけ予定が合えば語り部会は参加してきて来ましたけどね。それだってもうあと10年もしないで終わると思う。
もう当時を知る人もどんどんなく亡くなるだろうしね。。
そもそも4.5年前は夏になると毎日いろいろな兵隊さんが一日2人来てくれて語り部会がありましたが、今は夏になってももうこんなに兵隊さんはきません。
みなさんお年寄りですし、どんどん亡くなってるだろうし。。。
だからこそ、後世に伝えるために私も出来るだけ語り部会に参加してます。
母方の祖父はガ島帰り。父方の祖父は予科練上がり。曽祖父はシベリア帰り。
でも私が歴史に興味を持つ頃には戦争を体験した身内はすべてなくなってました。
かろうじて、母方の祖母に東京大空襲の体験談を聞けたくらい。。
でもあれなんですよね。。
体験者が語りたがらない、思い出すのもつらい、みたいな場合のほうが多いんですよ。
しかしそれは仕方がない。
だから語ってくれる体験者の方のお話は本当に貴重です。
皆様機会あればぜひ行ってみてほしい。
ハロウィンが終わり、毎日仕事しかしてない、つまらない昴です。
乾海小説も全然かけてないしね。。。
なんか自分のオフライン見たら、オフでの乾海本って、中3と中2の二人を一切書いてないんだよね・・
卒業後、パラレル、乾中1みたいな状態。
なんで中3と中2の二人を書いてないんだろうと思うも…自分のサイトのオンラインで「薫風」とう作品で中3中2の二人のことは全力出しちゃってんだよね。。
それでだわ。
でもなんかそろそろ書きたいな
お返事です><